2016/06/23 09:50

この文章で言いたいことは、、、
「地方に生まれた人は、若いうちに一度はその地を離れて都会もしくは海外に住んでみることをおすすめします。
やっぱり、狭いところに住んでいると考え方も狭くなるし、TVのような分かりやすいメディアから入ってくる価値観に染まってしまいやすいから」ということ。
僕なんて、自分や家族の暮らしや生活は自分でコントロールしたいし、そのほうが楽しい!という気持ちからたまたま野菜を作ってそこから始まる豊かな暮らしを提案したいというコトをしております。その動機は「本質的に面白そうだから」です。
地方の閉塞とか過疎とか、ネガティブな話を聞きますけど、都会の孤立とか過密とかもほぼ同じネガティブ種のお話だとおもいます。
「オモシロイことを自分たちで作る。」これが一番先に立っていないと何も始まらないと思います。
最近、地域の保育園建設の話や農業給付金のお話に参加することが多くありまして、その中で出てくる話のほとんどが「金」のはなし。
金があれば好きな建築物ができますよとか、農業は苦しい仕事だから補助金をもらいましょうとか、そんな感じ。
「何がしたいのか、何をするべきなのか」という話はほとんど出てこない。たまに出てきても大切に温めて実現させるという行動はない。
自分たちで工夫して、その場所に眠っている素材を掘り起こして、社会の人に喜んでもらえる工夫をしてその対価としてお金をもらって持続させていくスタイルが健康的だと普通に僕は思っていますが、そんな話を出して共感されても結局実際には行動はしない。
テレビで他の地域がやってることを真似しようとする。もしくは金がもらえるならやる、とかそんなレベル。
大臣の誰かが「90歳の老人が老後の心配して金をためてる。いつまで生きる気か」と言ったとか言わないとか。正論だと思う。自分のことばかりではなく、次の世代のことを考えていたらもっと楽に生きていられるだろうに、と思っています。
価値観は人それぞれだけど、迷ったりしてる時間はそんなに無いと思います。
ある古参の農業者は「農業は儲かるということを示したいんや!だからいい車の代名詞レクサスに乗るんや!」って言ってました。。
価値観は人それぞれだから否定は全然しないけど、あまりかっこよくない。。そのような右肩上がり時代が昔にあったかもしれないですね。
お金をたくさん持ち、持っていない人々と比較してその安心感をひけらかすためにお金がほしいのかな。
僕は今、オモシロイことを続けていくためのお金はほしいと思っています。地震や災害などで困っている人が出た時に募金するくらいの余裕はほしいです。面白いアイデアを共に実現していける仲間に払う給料とかは手に入れたいです。
現在自分のやってることの小ささなんて重々承知してますが、お金だけを求めるために仕事をするならばもっと効率よく稼げるところに移り住むべきだし、副業が許されてきてるのでさらに夜も働けばたくさんお金はもらえると思います。
僕は家族との時間をしっかり持ち、持続的に豊かな暮らしに繋がる仕事ができることで、未来への希望が持てるので幸せに毎日を過ごせると思ってますし、今それに近づいています。
多くの金を求めて地方から移り住んでいった都会の人が喉から手が出るほど求めている「希望の持てる暮らし」
それを実現しやすいフィールドが地方であるとするならば、そんな地方の人が率先して地域のチャンスを消すようなことをして、なんともったいないことかと思います。
いつまでも失敗を恐れてないで、さっさと失敗と修正を繰り返してちょっとずつ良くしていくために一歩踏み出す。これ以外にうまくいく方法があるならぜひとも教えてほしいです。